円錐角膜治療について;選択の自由を大切に
円錐角膜の治療について、何度か書いてきましたが、もう一度書いておきたいと思います。
というのは、今日、割と最近知り合いになった同業者と話していたら、
「学会で円錐角膜の話は何度か聞いて中身は理解していたけど、治療方針を変える必要性を実感していなかった。」
と教えてくれたからです。
円錐角膜という病気は、簡単にいうと角膜が生まれつきの原因で尖ってくる病気です。
角膜が尖ると、近視と乱視が非常に進み、視力が悪くなります。
ある程度以上になってくると、メガネやソフトコンタクトレンズでは視力矯正ができなくなってきて、ツルツルのハードコンタクトレンズを使わないと視力が出なくなります。
そして、さらに悪くなると、ハードコンタクトレンズも載らなくなって、角膜移植の適応になります。
この病気は、20世紀までは進行を止める方法はなく、発症したらひたすらハードコンタクトレンズで矯正して、本当に悪くなったら最終手段である角膜移植をするしかありませんでした。
ところが、今世紀に入り、角膜クロスリンキングという方法で、進行を止めることができるようになりました。もちろん、100%というわけにはいかないんですが、90%以上は止めることができます。
この角膜クロスリンキングは、ヨーロッパで始まった治療なのですが、この15年間ほどであっという間に世界中に広まって、もう何十万件もの人が手術を受けています。
海外では、角膜クロスリンキングの普及に伴って、円錐角膜で角膜移植が必要になる人の数が半減している、という報告さえもあります。
アメリカでも、FDA(食品医薬品局)が2016年に承認して、円錐角膜の一般的な治療として認知されています。
詳しくは、こちらのYouTubeもご参照ください↓
円錐角膜とは?
ところが、日本ではこの角膜クロスリンキングがまだまだ少ないのです。
少しずつ増えてはきましたが、厚労省が認可してくれそうもない、という事情もあり、なかなか海外のようには増えません。
それに加えて、なんだか情報が正しく伝わってないなあ、というのを実感しています。
角膜クロスリンキングは、決して見えかたをよくする治療ではありません。
円錐角膜の進行を止める治療なんです。
いわば、予防接種みたいな位置付けですね(厳密にはちょっと違いますが)。
つまり、なるべく早い時期に円錐角膜を発見して、進行停止させるための治療なんですが、早く進行停止させると何が良いのでしょうか?
昔は、円錐角膜の人を見つけたら、
「ハードコンタクトレンズを処方しましょう。」
だったんです。なぜなら、ほかに治療法がなかったからです。
でも、それって本人からしてみたら、ちょっと・・・って感じですよね。
だって、ハードコンタクトレンズは、慣れれば平気な人もいるけど、異物感もあるし、ずれやすいし、いろいろ面倒ですよね。
ちょっとでも目にゴミが入ったりしたらすごく痛いし、結膜炎とかちょっとした傷がついている時に無理をして入れたらこじらせて目が開けられないような状態になってしまいます。
そんなハードコンタクトをしないと、外出もできない、運転もできない、パソコンも見られない、という状態って、普通に考えて辛いし不便ですよね?
さらに、ハードコンタクトって小さいので落ちやすく、ちょっとでもゴミが入ると痛いので、屋外スポーツなんかとんでもない、ということだってあります。
サッカーなんかはまず無理ですね。
テニスなんかでも、万一落ちてしまったらまず見つけられないだろうし。
視力がまだそんなに悪くない状態、つまり、メガネでもソフトコンタクトレンズでも見えるという段階で円錐角膜の進行を止めてしまうことができれば、その日の気分や行動に応じて、どれを使うのかを自分で選ぶことができます。
ハードコンタクトしないと何もできない、と言うのではなくて、調子の悪い時にはメガネでも運転できたら、誰だってそっちの方がずっといいですよね?
そして、もっといえば、
「もっと悪くなるかもしれない」
「将来角膜移植が必要になるかも?!」
という不安から逃れられる方がずっといいに決まっています!!
だから、
メガネでまあまあ見えるから、コンタクトレンズができるからこのままでいい
のではなく、
メガネやコンタクトレンズが問題なく使えるうちにこそ、これ以上悪くならないように進行停止させる必要があるんです!
そして、もっと言います。
ハードコンタクトで矯正できるから良いというのは、
患者さん本人が決めることであって、医療者が患者さんに言うセリフであってはならない
と、私は思うんです。
だって、本人に選択の自由があると言うことがとても大切なことだから。
円錐角膜に限らないことですけどね。
どうもここがうまく伝わってないらしい、と言うことに気づかされました。
伝えるって、なかなか難しいですね。
でも、そうやって教えてくれる人がいる、と言うことはとてもありがたいことだな、とも思いました。