手を抜かずやること
何事も手を抜かないでやるって大切だな、と思います。
ずっとずっと昔、本当にまだ仕事を始めたばかりの頃、いわゆる不定愁訴の患者さんの診察、苦手だなあ、と思っていました。
ゴロゴロする
なんとなく目が疲れる
目が時々痛い
などなど。
明らかな異常があれば、それを取り除けばいいんだけど、往往にしてこう言う時って診察しても、明らかな異常は見当たりません。
こう言う人になんて説明して帰ってもらったらいいんだろう?
原因が見つからないから、当然、有効な薬も治療法もわからない。
とりあえず、便利な「眼精疲労の薬」でも出しておこうか、と思う一方、心のどこかでは「何か見落とししてるのかな?」と心配だな。
そう思ってました。
そんなある時、3〜4年上の先輩がこう言っているのを聞きました。
「どんな不定愁訴に見える人でも、絶対にその原因はあるんだよ。だから、『原因があるはずだ』と思って診察するんだ。そうすると、結構見落としていたものが見つかるよ。」
これは、当たり前のことかと思われるかもしれませんが、毎日毎日半日で20〜50人もの患者さんを診察していると、なかなか全員に対してそうはできないときもあります。
でも、先輩のその言葉を聞いて以来、できるだけ、そう言う気持ちで診察に向かうようにはしているつもりです。
当時と今とでは、診察の技術もちょっと変わったし、新しい概念の病気も増えました。眼科疾患では、ドライアイとか眼瞼痙攣とか結膜弛緩とか、以前はあまり病気として認識されていませんでした。
こう言う病気が一つの疾患として定着してきたと言うのは、一部の医師がそれまで不定愁訴だと思われていた訴えを、しっかり真正面から受け止めて、流さずに原因を追求してきた結果だと思います。
だから私も、一つ一つの症状や、視力がちょっと出にくいとか、そう言うちょっとした異常を、なるべく流さないで納得できる原因がわかるまで調べたい、といつも思っています。
自己満足なときもありますけどね。
診療に限らず何事もそうですが、一つ一つの積み重ねが大事です。普段から目の前のことに全力投球していないと、実際に力を入れなくてはならないものに遭遇した時にも、力を発揮できないと思うのですよね。
本当に忙しかったりすると、正直言って、時にはちょっと差し障りのない部分をはしょらざるを得ないときもあるし、至らないときもあります。
でも、とにかく気持ちはそう思って毎日取り組むようにしているつもりです。